みなさんこんにちは。
さて、3月竣工予定の新校舎建設もいよいよ大詰め、といったところです。この間、今年度は折を見て生徒に建設現場を実際に見てもらう「見学会」を3回にわたって開催しました。
これは施工業者様より、建設業界への進路を希望している生徒に、現場を見るという経験をぜひして欲しいという、ありがたいご提案があり、実現したものです。こうした現場を間近で見ることは得難い機会であり、生徒にとっても、何よりの宝物になる経験と言えます。
第1回の様子。基礎の段階ですね。
こちらが第2回の様子。工法などの説明が行われました!
第3回。新校舎に入る機会はなさそうですが、3年生も多数参加しました。
神戸女学院大学の教官を長く務めた経験を持つ哲学者である内田樹氏の「ぼくの住まい論」という本をお正月に読みましたが、こんなことが書いてありました。
…「学びの場」は、そこで学んだ人たちにとって、生涯変わることのない「母港」でなければいけないということです。いつも同じ場所にあって、船の出入りを見守っている。学校というのはそうでなければいけない。卒業して何年も経ってから学校を訪ねたら、同じ校舎で、同じ先生が、同じ授業をやっていた……というのが学校のいちばんいいところじゃないかとぼくは思うんです。そういう「定点」があると、人間は自分が何ものなのか、どこへ向かっているのか、どれだけ成長したのか、あるいはどれだけ道を踏み外したのかを測定できる。
卒業生は転職とか結婚とか人生の節目のときに、よく大学を訪ねてきます。研究室にたまたまぼくがいて「よう、元気」なんていいうと、ほんとうにうれしそうな顔をする。とりとめもないおしゃべりをして、学食でカレーを食べて、お茶を飲むくらいで、別に相談に乗るとかいうわけじゃないんだけれど、彼女たちの経年変化を定点観測してくれる「灯台守」みたいな人間がここにいるということを知るだけで、ずいぶんほっとするみたいです。
いつでも帰ってこられる場所があると思っていられるのは、ずいぶんと心強いことだと思うんです。別に帰ってこなくてもいい。「帰れるところがある」と思っている人と、そんな場所がない人では、人生の選択肢の数が違う。当たり前ですけれど、「退路のある」人の方が発想がずっと自由になれる。ずっと冒険的になれる。
──内田樹「ぼくの住まい論」(新潮文庫)
現在の校舎も、卒業生にとってはそんな「灯台」のような場所でしょうし(私も卒業生ですから、そんな場所だとやはり実感します)、新校舎も、きっとこれからの卒業生にとっても、そしてもちろん、これまでの卒業生にとっても、大海原に漕ぎ出していく自らを見守ってくれるような存在となることでしょう。
完成は、間近です!