去る4月12日(日)に第1棟・第2棟お別れの会を開催しました。
当日は400名を超える卒業生の皆様にお越し頂きました。ありがとうございました!
詳細はこちら
みなさんこんにちは。
今日のさよなら第1棟・第2棟企画は1979(昭和54)年の一葉の写真から。
1979年のトピックスは、第一回共通一次試験/江夏の21球/四十日抗争/久保田早紀「異邦人」…といったところですね。
では、どうぞ!
これは昭和54年度の紫紺祭の様子です。
現役の学付生は「いったいどの場面だ…?」と思うかもしれませんね。右手のパラソルがたくさん置いてあるところは現在の第1棟の2階テラス部分、そして左側の建物は、敷地北側にある現在の職員駐車場、プレハブ校舎の部分にあった「校舎」です。
そう、あの駐車場にはかつて校舎があったのです!
ご覧の通り、2階建てです。そして教室は6つありました。東側に広めの部屋があり、1階部分は講堂、そして最後は図書室として使われていました。
それで…この校舎は何とよばれていたか?
私も1年生の時まであった校舎で、たしかにあったのは憶えているのですが、何とよばれていたかは私も憶えていません。
そこで採点中の先生方に取材しました。
某先生…「なんだったかな?」
某先生…「なんだったかな?」
某先生…「第3棟でしょ」
某先生…「第3棟たい」
判明しました。「第3棟」──そう、現在の第3棟が建つ前に第3棟と呼ばれていたのでした!
結構この旧第3棟と第1棟は近く、2階のテラス部分から渡っていく橋がありました。また、この二つの棟の間の狭い部分を利用して原付置き場がありました。
家庭科男女必修化、情報教育の重要視などにより家庭科教室、コンピュータ教室などの充実を兼ねて現在の第3棟新築と同時に、当時の日照権問題等の解消のためこの旧第3棟は解体されました。
それにしても…この写真でもわかりますが、他校の生徒、多いですねぇ。当時から、紫紺祭が人気の行事だったことが伺えます。
みなさんこんにちは。
学校では明日から学年末考査が始まります。また、水曜日は国公立大学2次試験・前期日程が行われます。各生徒とも、最後の追い込みに家庭学習を頑張っていることでしょう。
さて、現校舎お別れ企画の第4弾は第1棟の中身を見てみましょう。
1968(昭和43)年の校内の様子です。
余談ですが、映画評論で有名な四方田犬彦氏の「ハイスクール1968」という本を読んだことがあります。著者の、東京教育大付属駒場での高校時代を描いた話題作でした。当時の世相と相まって、高校生が刺激的な毎日を過ごしていたことが伺えます。
当時の付属高校の生徒もきっとそうだったのでしょう。
では…
これは廊下をデッキブラシで掃除しているところです。
そう、かつては本校は校舎内は土足だったんですね。35期生の私が入学したときにはもう上履きを履いていましたが、その名残はそこはかとなく残っていて、教室の床はコンクリートでしたし、廊下の床は固いゴムのマットが敷き詰められていました。
現在でもその名残はあります。現在、1年生と2年生の生徒諸君の下足箱が置かれている第1棟と第2棟の間の空間、あれが下足箱の設置を見越して作られた空間だとは、にわかには信じられませんよね。上履きシステムに変わったときに、苦肉の策で改造してあるんですね。
それにしても今のリノリウムが敷き詰めてある廊下から考えると、信じられません。タイル敷きですね。
掃除をしている男子生徒は革靴です。学帽をかぶっている生徒もいますね。こういうところからも時代を感じます。
しかし、いつの時代もこうした「その時代の特有の文化」というものはあるものでしょう。今の生徒も、後の人生の中で「ハイスクール2015」を語る日がきっと来ます。
先週土曜日にレジェンドふじもとさん(←この人の「ハイスクール1996」は相当面白い)が「使ってね!」と自身が広報委員だったときに携わった「高校創立50周年」時に作られた資料からたくさんの写真データを提供してくれました。ありがとうございます!
それを「GALLERY」としてまずは写真のみ公開していますので、お時間がありましたらどうぞ。
ブログでは、その中から毎回1枚ずつ紹介していきます!
みなさんこんにちは。
さて、現在の第1棟・第2棟が取り壊しになってしまう、ということで企画したブログ企画「さよなら第1棟・第2棟」。3回目の今日は1988年(昭和63年)の卒業アルバムより引用しました。
1988年…この年は最近復活して話題となったF1の「マクラーレン・ホンダ」がF1世界選手権の全16戦中15勝した年ですね。その他にもソウルオリンピックや近鉄ーロッテの「10・19」、瀬戸大橋開通などがあった年です。
それでは…
これが1988年当時の付属高校の正門です!まず目に付くのは、第3棟がないこと。よって、渡り廊下もないですね。奥の国家公務員住宅もまだないので、随分と空が広く見えます。心なしか、まだ木も細いような気がします。
ちょっと玄関側から体育館側のショットを見てみましょう。
第3棟がないと、印象がずいぶん違います。中庭もちょっと様子が違いますね。ちなみに、この国旗掲揚台は取り壊されて、現在はありません。
2月も終盤。生徒は、惜別の思いを込めて現校舎で学習に励みます。
本日はもうひとつ投稿を。
前回ご覧頂いた1968(昭和43年)の第1棟写真の絵はがきと同時に見つかったものなのですが…
これはその当時の熊本学園の様子を航空写真で表したものです!いやー、すごい!現在に面影を残すものも多少ありますが、ずいぶん変わったんですね。
1…これは現在の第1棟ですね!現在駐車場のところにトタン屋根の何かがありますね…ここはその後、第2棟(北校舎)が建ち、そしてそれが取り壊され、現在の駐車場に至る、といったところです。
2…現在の第1棟が建つ前に付属高校の校舎として利用していた建物です!かつてこの場所が帝国陸軍の歩兵第13連隊の本拠地だったときの施設をそのまま流用していたものです。よく「昔の校舎は兵舎だった」と聞くのですが、この建物のことですね。前回の絵はがきで紹介したグラウンドが北側にありますね。
3…プールはもうこの時にありました!当時は3m、5mの飛び込み台が西側に付いていて、平成8年頃まで残っていました。現在もプールの一部は水深3.9mというところに、その名残があります。
4…これは現在の4号館。これでその他の位置関係が分かりますね。この建物の右上はかつての女子大(現県立大)、今は県立劇場が建っています。左下には広大なグラウンドがありますが、現在は図書館と大江グラウンドに分けられているんですね。
熊本学園は前身の東洋語学専門学校の頃から数えて70年以上の歴史を数えます。こうした資料からも、その歴史を感じることができますね。
こんにちは。
昨日のエントリーでは、新校舎の様子をちらっとお見せしましたが、現校舎にだって若いときはありました。
ニン!(伊東四朗風に)
これは創立10周年のときに記念に作られた絵はがき(1968年製)をお借りして、破れた部分などを修復して(一部ミスってしまいました。私のスキル不足です。すみません)みたものです。
…こんなんだったんですねぇ!
まず第2棟(理科棟)がない。そして現在は校用車などが駐められている西側の庇もない。そこにあるのは池と花壇がセットになった様な庭園で、「望星園」と呼ばれていました。
そして何より驚きなのが…校舎の前はグラウンドだったんですね!体育館はまだありませんでした。もちろん第3棟も。
まもなく第1棟、第2棟とお別れです。感謝の気持ちをこめて、折に触れて、こうしたものをご紹介して行きたいと思います!