みなさんこんにちは。
今日のさよなら第1棟・第2棟企画は1979(昭和54)年の一葉の写真から。
1979年のトピックスは、第一回共通一次試験/江夏の21球/四十日抗争/久保田早紀「異邦人」…といったところですね。
では、どうぞ!
これは昭和54年度の紫紺祭の様子です。
現役の学付生は「いったいどの場面だ…?」と思うかもしれませんね。右手のパラソルがたくさん置いてあるところは現在の第1棟の2階テラス部分、そして左側の建物は、敷地北側にある現在の職員駐車場、プレハブ校舎の部分にあった「校舎」です。
そう、あの駐車場にはかつて校舎があったのです!
ご覧の通り、2階建てです。そして教室は6つありました。東側に広めの部屋があり、1階部分は講堂、そして最後は図書室として使われていました。
それで…この校舎は何とよばれていたか?
私も1年生の時まであった校舎で、たしかにあったのは憶えているのですが、何とよばれていたかは私も憶えていません。
そこで採点中の先生方に取材しました。
某先生…「なんだったかな?」
某先生…「なんだったかな?」
某先生…「第3棟でしょ」
某先生…「第3棟たい」
判明しました。「第3棟」──そう、現在の第3棟が建つ前に第3棟と呼ばれていたのでした!
結構この旧第3棟と第1棟は近く、2階のテラス部分から渡っていく橋がありました。また、この二つの棟の間の狭い部分を利用して原付置き場がありました。
家庭科男女必修化、情報教育の重要視などにより家庭科教室、コンピュータ教室などの充実を兼ねて現在の第3棟新築と同時に、当時の日照権問題等の解消のためこの旧第3棟は解体されました。
それにしても…この写真でもわかりますが、他校の生徒、多いですねぇ。当時から、紫紺祭が人気の行事だったことが伺えます。