震災学習
薄磯海岸は、津波が第四波までやって来て、集落が壊滅した地区です。
薄磯海岸でドライブイン山六観光をいち早く再開された鈴木一好さんから、自らが津波発生時から撮影された写真をバックに、辛い経験を語ってもらいました。展示写真として掲示できるのは340枚のうち70枚ほどで、見せることのできない辛い写真もたくさんあるそうです。
集落では120名以上が亡くなり、遺体確認にも立ち会われました。ヘドロにより男女の区別がつかなくなっている遺体がたくさんあったそうです。
集落260世帯のうち被害にあわなかったのは43世帯。漁業と水産加工施設と加工品販売の集落。建物のほとんどが被害にあい、避難世帯は120世帯ほどあったが、転出などで現在は70世帯を割っているそうです。
高台に新しい住宅が建設中です。また隣の豊間地区には、防潮堤が建設中です。
この海から津波が押し寄せました。
津波に巻き込まれた集落は、現在は更地になっています。
高台にある移転先の市営住宅です。
野間地区は防潮堤が建設中です。
震災講話を拝聴したドライブインです。
- お留守番係:森森森の一口メモ
- このドライブインの反対側に、塩屋埼灯台に臨む美空ひばりの「みだれ髪」の歌碑があります。みだれ髪…素晴らしい歌ですね…星野哲郎の歌詞がまたいいんです。「♪春は二重に巻いた帯 三重に巻いても余る秋…」
- そして白亜の灯台。「♪おいら岬の〜灯台守は〜」と口ずさみたいところですが(「喜びも悲しみも幾年月」)、日本の灯台はオートメーション化されており、灯台守は現在、一人もいないとか。