高校 2020.02.07
【東北・関東コース_3日目】

そういうわけで、「イバラギ」ではなく「イバラキ」と読むのが正しい茨城県に入る3日目の活動です。

 

つくば市は1960年代に、高度経済成長期に近代化の弊害によって悪化した学術研究環境について、桃源郷を求める形で様々な公私の区別なく様々な学術・分野の研究所を設置した「筑波研究学園都市」として発展が始まりました。

 

東京教育大学の役割を移転するべく筑波大学が創立されたのが1973年。共通一次のスタートが1979年ですから、だいたいその歩みを一にしていると言っていいでしょう。

 

その名が一躍周知されることとなったのは何と言っても1985年の「つくば科学万博」。EXPO‘85は当時の日本のバブル経済の象徴の一つとして挙げられるものです。

 

万博の開催跡地は様々に活用されることは大阪県吹田市の万博公園の例を見ても明らかですが、このつくば万博の跡地の活用として設立されているのが「エキスポセンター」。東北・関東コースの3日目はこの「エキスポセンター」の見学を中心に据え、事前の希望により見学班に分け、様々な研究施設を見学するというプログラムのもと活動しました。

 

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まずはエキスポセンター。

 

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つくば万博の頃はもちろん生徒は生まれていません(1985年)。不肖私も小学2年生。近所の富裕層の子が学校を休んでこれを見に行った、という話を聞き「マジか」と仰天したことを昨日のように覚えています。

 

聞いたこともない「ツクバ」という名前と「学校の授業を休んで見に行った」ことの衝撃。

 

何か鼻垂れ小僧が野山を駆け巡る日常とはかけ離れた世界の出来事のようで、それ以来「ツクバ」という名前は私の中で「とんでもない未来のことを考える人がたくさんいる場所」というイメージが根付いたものです。「NASDA(宇宙開発事業団)」のロゴの入った彼からのお土産は、宇宙に近づいてゆく人類の発展を私に感じさせてくれる揺籃ともなったのでした。

 

田舎の鼻垂れ小僧に科学技術研究をリードする存在として認識されたツクバという地、高校生の彼らにはどのように目に映ったのでしょうか…

 

私が引率を担当した見学地は「地質標本館」と「サイエンス・スクエア」。「地質標本館」は…すみませんこれ本当に面白かったです。地震が起こるメカニズムから日本列島にどんな地震がどんな形で起こっているのか…地質と地層、海溝の話。

 

説明の研究員の先生の解説が、これがまた良かったんだなぁ。静かながらも滋味あふれる語り口。どんな質問(実際よく質問も出ました、ものを説明することを生業にする立場から言わせてもらうと、質問って絶対に引き出す力がないと出ません、研究員の先生に説得力があったということでしょう)にも適確に答えてくださる姿勢と応用力。生徒は本物を見分ける力があるのだとも感じました。実際、生徒もとても楽しんでくれました。

 

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さて「サイエンス・スクエア」。ここでは17期の高井一也先輩にお出迎えして頂きました。日本の最先端の研究機関で頑張られている先輩の姿に大きな激励を受けたのは私達の方です。ありがとうございました。ここでも、実用化と汎用化がもうすぐそこまで来ているというような様々な科学技術の最先端に触れることができ、有意義な時間を過ごすことができました。

 

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その後、午後からは一路東京へ…

 

江戸東京博物館は過去の修学旅行でも一度行ったことがありますし、体験を伴わせることができる見学地として良い場所だということはわかっていました。1993年の建造で、インフラとしてはバブル期終焉後すぐに建てられたこともありそのスペックは見事なもの。初めての人にこれが国技館だよと嘘吐いても騙し通せる程でしょう(実際は、国技館はその横の建物)。

 

さて中は「お江戸」の時代から近代以降の「東京」という二つの区分で1600年以来日本という国をリードしてきたこの地について、歴史的あるいは文化的に解説をするという仕組み。

 

東京だってひとつの「地方」なんです。そう考えるととても面白い。個人的に東京新聞の電子版を購読している私は、学生時代には感じなかった都市としての「東京」に改めて惹かれていると言っても過言ではありません。

 

実際に住んでいるときにもっと気づいておけば良かったと後悔することもありますが、それはそれで良いのではないかと思いますし、こういう「東京」の姿を見て、「都心」の上級学校に進学を志す思いを抱いた生徒には、表に見えるところに止まらない魅力をたたえた都市としての「東京」を知り、改めて進学を志してくれたとしたら、修学旅行のこのコースの意義はますます高まることでしょう。

 

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最後に、本日の夕食を各自で取ることを兼ねて、「東京スカイツリー・東京ソラマチ」に向かいました。

 

東京スカイツリー開業の年に見学地として設定した修学旅行を引率したことをよく覚えています。展望台チケットの入手に難儀したことも…だから、今回各個人ですぐに買えることを前提にした予定表を見たときに隔世の感があったものです。

 

夜のスカイツリーでの見学というのもチケット入手の困難からその時に苦肉の策で考え出したものです。「遠く富士山まで望むことができる」という惹句があるのに、夜なんて──そう思っていたのも、実際に夜のスカイツリーに訪れると、その思いは霧散したものでした。

 

そこには、信じられないほどの綺麗な夜景が──寒冷期の澄んだ空気も相まって、スカイツリーからの夜景は見事なものでした。

 

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今年、改めて見てみると、こんな思いを抱きました。

 

「光の数だけ生活がある」と。

 

そこに思いを馳せた時、その光のうちに身を置いてみたい、と生徒が思ってくれたなら、こんなに嬉しいことはありません。

 

それは実際に自らもかつて都会に住まうことで、それまでの人生で知り得なかったことを、都市部でなければ知ることはなかっただろうなと思うことを見聞することができたという思いがあるからこそ、そう感じるのです。

 

もちろん、そのためには親の助けが必要だったという思いを新たにするものですし、生徒にしてみれば、都会への思いを新たにするきっかけとなった経験をするべく送り出してくれた保護者の方への感謝もまた新たにしてほしいなという気持ちになったものでした。

 

浅草のホテルに到着し、3日目が終了しました。

 

これまでの旅程でも、様々な人と出会い、様々な人と別れてきました。人生は出会いと別れの縮図、とは巷間よく言われることですが、こうした旅行は非日常だからこそなのか、普段はなかなか改めて意識しないその事実を私達に突きつけてきます。

 

一期一会、いい言葉ですね。残りの旅程で巡り合う人々に微笑みの伴った出会いを、そして、普段から共に過ごす級友だって同じです。一期一会。気安さに溺れることなく、旅行中だからこそ、共に旅行を続ける仲間に改めて敬意を持って、快適な旅を過ごしてほしいと思うばかりです。

 

それではまた明日。